育成年代に関しての初心表明 ~S・キングの『ヘッド・ダウン』を読んで~

スティーブン・キングの短編集『ブルックリンの八月』読了。

収録作の中に『ヘッド・ダウン』という短編がある。
ホラーでもSFでもなく、キングの息子の所属する少年野球チームのリトル・リーグ・トーナメント戦を追ったドキュメンタリーだ。
文体は簡潔だがキングのリトル・リーグへの愛情が伝わってくる。
少し長くなるがキングとチームのコーチであるデイヴの会話を引用したい、、、

「彼らはなにを得るのかな?」と、わたしはデイヴに質問する。
「このシーズンが終わったとき、なにを手に入れるのかってことだよ。彼らはどんなふうに変わると思う」

デイヴは意外そうな表情をうかべて考えこむ。それからマットのほうを向いて微笑を浮かべる。

彼らはおたがいを手に入れるのさ

と、彼は答える。

この子たちは一緒にプレーし、一緒に地区予選を勝ち抜いた。
ある者は裕福な家の生まれだが、使い古しの皿洗い機のように貧しい家に生まれた子供も二人いる。
しかしユニフォームを着てグラウンドに出るときはそういうものをすべてラインの外に置いてくる。
グラウンドでは学校の成績も親の仕事も助けてはくれない。グラウンドではすべてが子供自身の責任だ。
彼らはグラウンドで起きることにできるだけ専念する。

彼らは一緒にプレーした。くる日もくる日も一緒に練習した。
おそらくこのことが試合そのものより大切だろう。
おれは優勝できるとは思っていないが、そのことは重要じゃない。出場できるだけで充分だ。
なぜならそれは彼らがグラウンドで一緒になしとげたことだからだ。
彼らはそのことをいつまでも忘れないだろう。
そのときどんな気持ちだったかを一生忘れないだろう。
勝ち負けの問題じゃない。
それは二義的なことだ。
大切なのは今年彼らがどんなふうに廊下ですれちがい、顔を見合わせ、そして思いだすかということだ。

大切なのはだれが自分のチームメイトかを知ることだよ。
好き嫌いは別にして、自分が頼らざるをえなかった人間はだれかということを


チームメイトを信じ。相手に、審判に敬意を払う。
"アマチュア"か"プロ"か以前の当たり前の事だがプロの試合を観戦しているとつい忘れがちになってしまう。
キングはリトル・リーグを通して野球の、ひいてはスポーツそのものの魅力と意義を読者に問いかける。
また選手のプレー描写、形容も事細かく流石一流の作家だなと感心する。

おこがましい限りだが僕もU-18年代や大学サッカーの観戦記を書く時はこうありたい、と思う。

何故自分が"育成年代"の試合を好んで観るのか?

西が丘や深川に「ダイヤの原石」を探しに...というのもあるがそれだけじゃない。
勿論「良い選手だな」と思ってた選手がプロに進んだら嬉しい。
けどそんな「スカウトごっこ」だけでは虚しい。
品評会や利き酒大会じゃないんだ。

試合を観て観戦記をブログに書く時「この試合で輝いた選手」をピックアップするわけだけどプロに進む選手にとってそれは"経過"になる。
でも高校や大学でサッカーを辞めてしまう選手もいる。

選手権ならいざ知らずほとんどの大会や試合はTV中継も無いし観客だって数十人か数百人だ。
大会の規模や知名度で試合の価値が決まるわけじゃないが公式記録に名前が載るだけでは寂しい。
映像に残らないならネット上に文章だけでもその子の「サッカー選手として」の足跡を刻みたい。
彼らにとってはその試合が最後の公式戦かもしれない。
だから(拙い)レトリックと(貧弱な)ボキャブラリーを総動員してその選手のことを書き留める。

実際、選手名で検索して僕のブログに来てくれる人がいる。
多分プロ入りの噂があるとか将来有望な若手の情報を得る為、というのが多いんじゃないかな。
でも全員がプロに行けるわけじゃない。
中にはもうサッカーを辞めてる子もいるかもしれない。
ネット上じゃ彼らの「サッカー選手として」の情報は限られてる、今後更新される事はないかもしれない。
だからこそ読んでくれた人がプレーを想像出来るような、映像が喚起される様な描写がしたいしその為に努力する。
半端で上っ面だけの文章なんて選手にも読んでくれた人にも失礼だから。

それが自分なりの選手への、サッカーへの恩返し。

サッカーには大きな借りがある。
多分、返しきれないけど。
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テーマ : 読書
ジャンル : 小説・文学

「空襲警報下のフットボール」と「死の試合」

最近読んだ二冊の本についてのいわゆる読書感想文(夏休みの宿題でもあるまいに、しかも調子に乗って引用ばっかりしてたらもの凄く長くなったので注意)

ナチス第三帝国とサッカー~ヒトラーの下でピッチに立った選手たちの運命』ゲールハルト・フィッシャー、ウルリッヒ・リントナー (著)


着眼点は面白い、が、「スポーツとプロバガンダ」「反ユダヤ主義」から最後のDFB(ドイツサッカー協会)への批判に至るという結論はいささか性急。
そのせいで"当時のFCバイエルンの選手へのインタビュー"という重要なトピックもやや無味乾燥なものになってしまった。
ちょっとあんま印象に残らんかったかな。
しかし戦局も差し迫ったドイツでの『空襲警報下のフットボール』というのは興味深い(うろ覚えだが菊地成孔さんの著書の文中に『戒厳令下のスウィング・ジャズ』というのがあった、そのパクリ)

ディナモ―ナチスに消されたフットボーラー』アンディ・ドゥーガン(著)


この本を手に取ったきっかけはたまたまAmazonの"閲覧履歴からのおすすめ"にあったから。
ありがとう、Amazon!!!
おかげで最高の本に出会えたよ。
でも一緒に『萌えよ戦車学校』も"おすすめ"してくるのはもうやめてくれ(既に読んだから)

まずは表紙裏の粗筋を引用、、、

『1942年、ドイツ占領下のウクライナで名門ディナモ・キエフの選手とドイツ軍兵士とのサッカー対戦が行われた。命をかけて、選手達が守ろうとしたものは何か?』

この本の秀逸な点はサッカーの話ばかりではなく、ウクライナ史、当時の社会情勢、戦況等も織り交ぜながら実に丹念に書かれているところだろう。
そこらへんの"歴史考証"と、いわゆる"スポーツノンフィクション"的な部分がバランスよく書かれているので独ソ戦をあまり知らない方でも充分に読めると思う。

また当時のフットボール史を知ることが出来るのも貴重な点だ。
1930年代、ソ連ではどのチームもFW5人が横一線に並ぶ『ファイブ・フォワード』を採用していたらしい。
それを1941年、ディナモ・キエフのブトゥソフ監督が2トップの下に3人のFWを"W"の形に置く『Wフォーメーション』を採用。
著者は、、、

「ソ連のサッカーにミッドフィルダーの概念をもたらしたのは彼だったのだ」

と書いている。
『ファイブ・フォワード』から『Wフォーメーション』への転換というのは実に興味深い(去年の日立で新潟相手に柏が終盤『ファイブ・フォワード』してたような気がする....)

あ、あとこの著者の"選手像"の書き方(描き方)が実に巧い。
当然、当時のプレー映像なんて無いわけで元チームメイトの証言を元に書いているわけなんだけど。
読んでいて脳裏に鮮烈なヴィジョンを描かせずにはおられんくなるような。
以下長々と引用するけど、、、

ニコライ・トゥルセビッチ(GK)について、、、
「彼はゴールを遠く離れて走り出て、ボールをキャッチせずにキックする」

推測するにPAギリギリまでを守備範囲にしていた
ようだ。
これが1930年代の話だということを頭に入れて考えるとまさに先進的なGK。

イワン・クズメンコについて、、、
「彼は空気の抜けたボールを苦労しながら三枚重ねて縫い合わせ、空気を入れた。そのボールは通常の三倍の重さになるわけだ。
クズメンコはこの重いボールで練習すれば、より強くボールを蹴ることができると考えたのだ」

これだけでこのFWについての"選手像"はおろか"人間像"にまで思いを馳せてしまう。

マカール・ゴンチャレコについて、、、
「いったん自分の足元にボールを持つと、すべてのチームメイトの現在位置ばかりでなく、0.5秒先の位置までわかってしまうのだ」

「ゴンチャレコはアーティストだった」

「チームメイトはゴンチャレコがGKと一対一のPKを得た瞬間に、結果を見もせずにセンターサークルまでかけもどり、背中でゴールを知らせる審判のホイッスルを聞くならわしだった」

凄い!!!ガンバの選手達はガチャさんがPKを得た時に真似すべき。

さて、本の筋に戻ろう、「死の試合」だ。

初戦は5-1でディナモ(正しくは"FCスタート"というパン工場のチームで、戦火で散り散りになったディナモ・キエフの選手達がその工場に集まって来た。ロコモティフの選手もいたらしい)の勝利。

ドイツ軍が要求してきた"リベンジマッチ"も5-3で勝利した。

"アマチュア"のドイツ軍チームに"元プロ"のFCスタートが勝つのは"GIANT KILLING"でもなんでもないけど、、、

「ドイツ占領下のウクライナ」で「ドイツ軍チーム」に勝つということ。
しかも審判がSS隊員、、、あの悪名高い"ナチス親衛隊"!!!

「試合後選手達はピッチから連れ去られ、ユフォーム姿のまま射殺された」

これがキエフ奪還後に流布した「死の試合」として有名な伝説。
でもこれはソ連の(お得意の)プロバガンダだったようだ。
著者は元選手や試合の観戦者、キエフ市民らの証言を検証して結末は違ったものであったとしている。
その結末はここでは書かないが.....むしろ伝説よりも残酷で悲惨かもしれない。

ロッカールームを訪れたSS審判にナチス式敬礼「ハイル・ヒトラー!」を唱えて試合するよう暗に言われたFCスタートの選手達はそれに従わず「フィッツカルト・ウラー」と叫ぶ。

著者によると「スポーツ万歳」という意味合いらしい。

政治的思想なんかはピッチ上においてなんの意味も持たないということか。

最後にGKのトゥルセビッチがチームメイトの前でしたスピーチを引用して終わりたいと思う。

「わたしたちに武器はない。
だが、ピッチの上では戦って勝利を得ることもできる」
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庄七..

Author:庄七..
日記にはアルビレックス新潟、U-18年代、大学サッカー等の観戦記とプロレス、漫画、小説の感想等を中心に書いていく予定です。

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庄七
162cm / 52kg
出身地:新潟県

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